キューバ 街角だより ~ Informe de la Habana ~

エイムネクスト株式会社では、キューバの国立ハバナ大学に、2015年10月から日本語教師を派遣しています。 現在赴任されている山田芳子先生が、キューバの首都ハバナの街の人々や、日本とは事情の全く異なる生活の様子などを詳しくレポートしています。 “ キューバの今! ” をご紹介します。



≪エイム・キューバより≫

**エイムネクスト()がハバナ大学での日本語教育への支援を始めてから1年以上経ちました。そこで、ハバナ大学やエイムネクスト社の事業に関係のあるキューバの皆様と交流を深めるために、2月にハバナ大学で記念交流会を開催しました。**


イベントは、メインキャンパスにある“Edificio Varona”という建物で開催しました。この建物はイベントの際によく使用される有名な場所です。

 

参加者は、ハバナ大学外国語学部の学部長副学部長など錚々たる人たち、外部からは海外投資省日本大使館の方など。外国語学部の学生+社会人コースで日本語を勉強している学習者15も参加しました。日本からは、エイムネクストの社長はじめ3が参加しました。


(大学内イベント会場内)
教室

最初に学部長からのお話しの後、仏葡日学科長から「キューバでの日本語教育の歴史とハバナ大学での現状」についての講演がありました。

イベント_学科長
イベント_学科長1


次いで、学生33年生/社会人コースの学習者/5年生)が日本語で簡単にスピーチ。テーマはそれぞれ、日本語を勉強している理由、学習のきっかけ、将来の希望など。(もちろん、事前に指導をしました
日本の漫画やアニメへの興味は高いようです。


(日本語でスピーチする学生)
DSC01463
イベント_スピーチ

それから、海外投資省の方のお話しがあって、最後にエイムネクスト社長の話で終わり。だいたい1時間ぐらいのイベントでした。

イベントの間に、エイムネクストからお土産(イベント手土産?)で、京都の千寿せんべいと鉛筆が配られました。

千寿せんべいはクッキー生地にクリームが挟まっていて、京都のお菓子らしいとても「上品な」お味でした。

学生たちにとって“おせんべい”は少し珍しかったようですが、翌日の授業で感想を聞いたところ、おいしかった」とのこと。
他に、「甘かった」との感想もあり。
コーヒーに砂糖を何杯も入れる人たちなのに…。「甘い」の基準がよくわかりません。(^^;)

イベント_集合



もう“師走”ですね。こちらキューバは寒くないので、なんだか年末気分がしません…。

 

1125日(金)22:29にフィデル・カストロ前議長が逝去し、26()から124()までの9日間は服喪期間でした。1128()からは追悼関連行事が始まり、国が喪中だったため、ハバナ大学関係はほとんど何もない、いつもの生活とは違う一週間でした。
 

<革命広場の国立図書館に貼られた カストロ前議長の垂れ幕>

カストロ追悼1
 

1128日(月)

9:00にハバナのカバーニャ要塞で、21発の大砲の儀式がありました。(サンティアゴ・デ・キューバでもありました。)

それをもって、キューバ各地での追悼記帳が始まりました。ハバナの革命広場にあるホセ・マルティ記念館では、月曜日9:0022:00、火曜日9:0012:00が弔問記帳受付時間でしたが、これが長蛇の列。そのため、実際には時間をオーバーして弔問を受け付けていました。

 

*ところで、カバーニャ要塞の追悼の大砲ですが、月曜日は9:0018:00、火曜日から土曜日までは朝6:0018:00の間で1時間おきに大砲が1発ずつ鳴らされました。金曜日にはいつもの21:00の大砲も復活。わたしはベダード地区(要塞からは運河を挟んで4kmくらい離れている)に住んでいるのですが、大砲の音が聞こえるんですよね。朝6時って…まだ薄暗いんですが…

 

1129日(火)

19:00には革命広場で追悼集会(と訳すのだろうか、スペイン語でActo de Masas en Homenaje a Fidel)が行われました。中南米諸国、南アフリカ共和国の大統領、ギリシャの首相、そのほかの国々の首脳の弔辞(スピーチ)、最後にラウル・カストロ議長のスピーチ、という4時間近くの集会でした。

 

1130日(水)

7:00に、カストロ前議長の遺骨を乗せた車が革命広場を出発。

ベダード地区、旧市街を通り、沿道には最後のお別れをする人々でいっぱいでした。

この車(キャラバン)は、カストロ前議長が埋葬される革命発祥の地サンティアゴ・デ・キューバのサンタ・イフィヘニア墓地(キューバ建国の父ホセ・マルティの墓がある)へと、革命当時のルートを逆になぞって向かいました。
 

121日(木)~122日(金)

キャラバンは東に向かって進み続け、まだまだ続くТV追悼番組。

 

123日(土)

キャラバンは昼過ぎにサンティアゴ・デ・キューバに到着。19:00にアントニオ・マセオ広場にて追悼集会。中南米諸国の大統領も出席しましたが、ここではキューバ人の弔辞のみでラウル・カストロ議長のスピーチで終了。1時間20分の短い集会でした。

 

124日(日)

この日はサンタ・イフィヘニア墓地にてカストロ議長の埋葬。7:00頃ハバナのカバーニャ要塞で21発の大砲の儀式。

これで喪に服す期間は終わったのか、TV番組も午後は通常の日曜日の番組になりました。ただ、お店は日曜日はほとんど14:00には閉まるので、服喪期間中と変わらないのでした。

                                       

*この週は学校、政府機関、政府の店は休みでしたが、個人の商店は開店していました。

ただし、レストランでのアルコール類のサービスやお店での販売はナシ。(1部提供していたレストランはあったけど。)

博物館も休館(週末には開館)でしたが、それでもずっと開いていたのは革命博物館。さすが年中無休です。

その他、スポーツの試合(キューバの野球リーグ)、コンサートなども中止で、1126日に予定されていたオペラ歌手のプラシド・ドミンゴのコンサート(アリシア・アロンソ劇場)も延期になりました。


カストロ前議長の追悼関連行事以外は活動のない、静かな1週間でした。

そういえば、ベネズエラのTVチャンネルが、アメリカでのキューバ人亡命者による祝福?の声をニュースで流したので、見ましたが、キューバ国内ではほとんどカストロ前議長を批判する人はいないように思います。確かに人権問題などありますが、教育や医療などの社会政策においては、国民に大いに貢献しているわけで、いわゆる“独裁者”というのも、冷戦時代にアメリカが作り上げたイメージだと感じます。
 

追悼集会が行われた革命広場

(翌朝の写真ですが、すでにきれいに片づけられていました)

カストロ追悼2カストロ追悼3
 



 ニュースでご存知だと思いますが、1125日(現地時間)にフィデル・カストロ前議長が逝去されました。
享年90歳。

キューバは9日間の喪に服します。その関係で、月曜・火曜は政府関係の機関、お店などは休みでした。(大学も休みになりました。)でも、個人のお店やレストランなどは今のところ通常どおり営業していて、それほど市民生活に影響はありません。

ただ、たまにハバナリブレホテルのカードを使ってインターネットをすることがあるのですが、喪に服す9日間は宿泊客以外利用させてもらえず。ちょっと制限されています・・・。

そして、テレビ番組はカストロ前議長関連の番組一色です! 毎週末に放送されるヨーロッパのサッカーリーグ、映画・音楽などの娯楽番組はありません。
でも、ドキュメンタリー番組を見ていると(スペイン語はわかりませんが)、1950年代からの現在までのキューバの歴史そのものといってよい、物凄い人生(特に若いとき)を送った方なんだなと思いました。

古いフィルムの中のカストロ議長の演説はとても力強く、カリスマ性がありますね。それに、中南米での影響力の大きさもわかりました。

キューバとベネズエラとは関係が強いとはいえ、ベネズエラも3日間の喪に服すようです。

また、街では、革命広場とその他の場所で弔問が行われました。

外国語学部が革命広場に近いこともあり行ってみたのですが、あまりに長い弔問者の列で、近くまでたどり着くことができませんでした…。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

カストロ氏追悼集会
この写真は日曜日のものですが、前日の土曜日には学生による追悼集会がありました。

この日も数人が集まったようです。(階段上部に旗を持っている人々が。)

 



第6日目:快晴!

 トリニダーの郊外:ロス・インヘニオス渓谷(Valle de Los Ingenios)

前日は町歩きしたので、この日は
観光用蒸気機関車に乗って、トリニダーから15キロぐらい離れた近郊のロス・インへ二オス渓谷(Valle de Los Ingenios)ナカ・イスナガ塔(Torre de Managa-Iznaga)に行ってきました。

 

運賃は往復10CUC
切符は当日、駅で直接買うか、前日までに町の旅行代理店で購入。
930AMトリニダー駅を出発。駅は町の中心から歩いて20分ぐらいのところにあります。

トリニダー駅
中央奥の青い建物は切符売り場 
ロス・インヘニオス渓谷_トリニダー駅
ロス・インヘニオス渓谷_トリニダー駅2

列車は観光客でいっぱいでした。
蒸気機関車では、走行中にもかかわらず、運転席に座って()写真を撮っている人もいました。(車掌にチップを渡すかどうかは不明)
列車にはBarもあります。田舎ののどかの風景を見ながら、ゆっくりと列車は走ります。

観光用ですが、途中で沿線上の人が乗り降りして、止まったりします。
ロス・インヘニオス渓谷_列車1

真ん中の車両はなんとBar車両です
ロス・インヘニオス渓谷_列車2
車窓からの眺め・・・
ロス・インヘニオス渓谷_車窓

1時間ぐらいでイスナガ駅到着
イスナガ駅
ロス・インヘニオス渓谷_イスナガ駅
1時間ぐらい周辺を見物、マナカ・イスナガ塔にのぼりました。塔に上るのにCUC
マナカ・イスナガ塔
ロス・インヘニオス渓谷_イスナガ塔
ロス・インへ二オス渓谷はトリニダーとあわせて世界遺産に登録されています。かつてさとうきび農園があったところで、マナカ・イスナガ塔は昔の見張り塔です。

塔の頂上から周りの風景を見渡すと、今は牧場(牛、馬)になっている様子が見えます。


マナカ・イスナガ塔からの眺め ①
右の建物は、昔の農場主の屋敷
写真手前の洗濯物のような白い布は、土産物屋で売っているテーブルクロス
ロス・インヘニオス渓谷_農場跡
塔からの眺め ②
ロス・インヘニオス渓谷_塔からの景色
ロス・インヘニオス渓谷_塔からの景色2

イスナガ駅からまた20分ぐらい機関車に乗り、もう少し先の駅まで行きました。ここで1時間ぐらい田舎の風景を見て、トリニダーに戻ります。
この駅でUターン
ロス・インヘニオス渓谷_周辺1
駅の近くのレストランでは、豚の丸焼きが・・・
ロス・インヘニオス渓谷_周辺2_ブタの丸焼き

ロス・インヘニオス渓谷_周辺3
沿線近くの家と子供たち
ロス・インヘニオス渓谷_周辺4
帰りは13:30ごろイスナガ駅出発
トリニダー駅に帰り着くのは
14:30ごろという行程です。(実際には1410帰着しました。)


 おまけ

実は、この旅行をした日は、年末12月31日
1年最後の日でしたが、お店はなんだか早仕舞い・・・。
花火もカウントダウンもなく静かに1年が終わりました
夜行くところはレストランかバーしかないので、私はリビングルームでひとり、テレビを見て、過ごしました。
テレビも年末特別番組はなく、通常のニュースドラマ音楽番組
あ、アメリカンフットボールの試合NFL)がやっていました。 

  




第5日目:快晴!

 トリニダー(Trinidad)での2日め

 

Casaでの朝食:やはりボリュームたっぷり! 
トリニダー_朝食1
プラス、卵料理
トリニダー_朝食2
さらに、ミニサンドイッチ付き
トリニダー_朝食3

この日は遅めの朝ご飯を食べて、気ままに1日ブラブラ。

その中で、市立歴史博物館(入館料2
CUC)に立ち寄りました。

博物館は1階建て、中は昔の部屋台所、お土産物屋と、大して見るものはありませんが(失礼!(^^;))、塔の上からトリニダーの町が一望でき、塔に上る価値はあります。
塔の階段はでできていて、かなり狭くて、急

 
市立歴史博物館の塔
トリニダー_歴史博物館

歴史博物館の塔の上からの眺め革命博物館が見えます
トリニダー_歴史博物館からの眺望
 トリニダー_歴史博物館からの眺望2

屋上から見たマヨール広場サンティシマ教会
トリニダー_歴史博物館からの眺望3
屋上までの階段の出入り口
トリニダー_歴史博物館の屋上


<*Trinidadで、ちょっとよかったカフェテリア・レストラン 

Bella Piada”              

場所 Simón Bolívar & Antonio Maceo  の角 

  座席数20ぐらいの小さいお店で、イタリア系サンドイッチピザハンバーガーといった軽食屋さんです。とはいってもボリュームはあります。飲み物はコーヒージュースビールワインもあります。
キューバ料理にあきたら、立ち寄ってもいいかも!
料理は3~6
CUCぐらい、飲み物は1.5~3CUCぐらいです。


Bella Piada”の入口
トリニダー_cafe
 

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